中央協同組合学園校友会

交流のひろば

「47都道府県マラソン大会完走―30年のあしあと― 町田重光(短大5期:東京支部)

 今月も私(町田)の記事で大変恐縮です。
事務局では、みなさんからの投稿をお待ちしておりますので、よろしくお願いします。

 2008年8月8日に開幕しました北京オリンピックは8月24日閉幕となりました。

 日本の金メダルは9個でした。柔道男子が2、柔道女子が2、競泳男子が2、女子レスリングが2、そしてソフトボールです。私としては、女子マラソンで野口みずき選手の金メダルを期待していたのですが、足の故障で欠場となってしまったのが、とても残念です。その女子マラソンでは、38歳のトメスク選手(ルーマニア)が優勝したのですから、30歳の野口選手には是非ロンドンで金メダルを目指して欲しいと思います。

 私は現在67歳ですが、36歳から走り始めたマラソンを今も楽しんでいます。そして昨年12月、念願だった47都道府県のマラソン大会を完走することが出来ました。30年間かかったので感慨も一入です。

 昭和36年、協同組合短期大学を卒業し、全農に就職しました。最初に走ったのは昭和52年で、この時は大阪支所勤務でしたが、昼も夜も忙しく、運動不足とお酒でお腹はメタボ状態でした。なんとかしないとと思いジョギングを始めたのです。続けるのには、朝早起きして走る他ありません。1ヶ月も続けると効果はてきめんに現れ、ベルトの穴は、二つも三つも少なくなり、背広のズボンも仕立て直しをしなければならなくなりました。

そのうちに、マラソン大会にも出てみようという気持ちが芽生え、住居(全農宝塚寮)のある宝塚市主催のロードレース(3キロ)を走りました。それからは、兵庫県のみならず、大阪、京都、滋賀、福井と足を伸ばしました。

 全農は当時、札幌、東京、名古屋、大阪、福岡に支所があり、私は大阪支所の後、昭和58年、札幌支所勤務となりました。その年の7月、支笏湖林道を走る千歳・日航国際マラソン(10キロ)を走りました。北海道のマラソンシーズンは本州と違い5月から9月なのです。札幌支所時代は札幌マラソン、すすきのマラソン、ニセコマラソン、銭函マラソンなど2年間に18回走りました。冬は、札幌国際スキーマラソン・10キロにも2回出場しました。

 その後は東京支所、本所、中央講習所(筑波市)勤務でしたので、関東の大会が中心でした。

 平成17年1月19日、転勤の内示がありました。17日に阪神・淡路大震災が起きたばかりの神戸、近畿くみあい飼料(株)への転勤命令です。しかし、行っても住む所が無く、工場も大きなダメージを受けているので、しばらく東京の自宅で待機することになりました。その年の11月に行われた尼崎シティマラソンや六甲アイランドマラソン大会は仮設住宅が建ち並ぶ中、復興支援の大会でした。

 平成13年の定年退職後は、父の介護をしながらのマラソン大会参加でしたが、平成14年に父は亡くなりました。85歳でした。母はパーキンソン病でそれ以前から長期入院中でしたが、平成17年に亡くなりました。91歳でした。

 平成15年からは、走っていない県を意識しての大会参加でした。沖縄は平成16年12月にNAHAマラソン(フル)を走りました。NAHAマラソンは平和祈念公園などを走る人気の大会で参加者は15,000人を超えます。この年は、第20回の大会でした。同期生の赤嶺君ご夫妻に応援してもらい、かつごちそうになりました。

これで残り17県となったのですが、名古屋支所管内の3県、福岡支所管内の7県と全農時代勤務の無かった地域が多く残っていました。これらの県をひとつまたひとつと走り、平成19年5月山香エビネマラソン(大分)で、九州を走り終えました。残る愛媛、高知、徳島、山口の4県をどのように走ったかは、先回「四国八十八ヶ所遍路大使」に書きましたので、そちらをご覧ください。

 河口湖日刊スポーツマラソンや青梅マラソンは、全農や全農パールライスが協賛・協力している大会で、おにぎり、とん汁、おしるこ、牛乳などをサービスしていて、参加者に喜ばれています。

 今年、東京マラソンを走りましたが、定員3万人のところに全国から15万人が応募するという状況で、私が抽選に当たり走ることが出来たのは、ほんとうに幸運でした。

 47都道府県のマラソン大会完走のあしあとは別表のとおりです。ここに登場する大会を走られた人も多いと思います。私はこれからも、足の向くまま、気の向くまま、あちこちのマラソン大会に参加したいと思っています。そして、その地にいる同期生と会うことが出来たらと思っています。

30年のあしあと